2020年1月14日(火)の23:20からフジテレビで放送される『セブンルール』に、東京・国分寺市の住宅街にある「矢島助産院」の院長を務める『矢島床子』さんが出演します。
・矢島床子の経歴やプロフィールは?
・年収はいくらなの?
・旦那(夫)や子供はいるの?
今回は矢島床子さんについてわかる範囲で調べたのでご紹介します。
矢島床子のwiki風プロフィール・経歴
誕生日:1945年(昭和20年)
年齢 :74歳(2020年現在)
出身地:岐阜県
職業 :矢島助産院院長
矢島床子さんは1945年に岐阜県郡山郡明宝村で生まれ、現在74歳(2020年現在)です。
矢島床子さん東京・国分寺市の住宅街にある「矢島助産院」の院長を務めており、今でも現場に出て現役として活躍しています。
独立してから赤ちゃんの出産に立ち会った数でいうと、32年間で今までに約5,500人の赤ちゃんを見届けてきました。
「矢島助産院」の院長として活躍している矢島床子さんですが、なぜ助産師の道を進もうとしたのかを調べたところ、きっかけは矢島床子さんが看護師学校に在学していた時にあります。
当時看護師学校1年生であった矢島床子さんは突然の交通事故に遭ってしまい、命は助かったものの、生死の境をさまよった矢島床子さんは命がどれほど大切なものかを痛感しました。
その頃から矢島床子さんは助産師として自分が多くの命が生まれる瞬間の手助けがしたいと思うようになりました。
そんな矢島床子さんは1970年に日本赤十字社助産婦学校を卒業後、矢島床子さんは日本赤十字社産院と高山赤十字病院に助産師として働きます。
助産師として働いていると同時に子育てをしていたのですが、仕事人間であった旦那さんは育児を手伝うことが出来ず、当時の矢島床子さんは孤独で辛い思いをしていたそうです。
助産師として働いていた矢島さんでしたが、出産によって完全に社会と断絶してしまった気がして、育児ノイローゼに近い感じになっていたと言います。
矢島床子さん自身の経験から、自分と同じ思いをする母親を生み出したくないという強い思いから独立を目指して、1981年から日本にラマーズ法を広めた有名な助産師・三森孔子さんの下で助産師の勉強をします。
師である三森孔子さんが亡くなってから1987年に独立し、三森さんから受け継いだラマーズ法の「切らないお産」を守り続けています。
3年後の1990年には東京・国分寺に「矢島助産院」を開業し、2002年にNPO法人お産サポートJPANを設立します。
現在矢島床子さんは「矢島助産院」の他にも、妊婦や主婦向けに出産に関する勉強会や、子育てに関する悩み相談出来るサロンを3つ運営しています。
また性教育に関する公演を若い世代に正しい知識を身につけてもらうとして活動指定しています。
矢島床子の年収はいくら?
気になる矢島床子さんの年収ですが、いくらもらっているのでしょうか?
実際の矢島床子さんの年収について情報がなかったので、独自で調べてみてみました。
調べた結果、院長がどのくらいの年収を貰っているかまではわかりませんでしたが、助産師の平均年収について出てきたのでそちらを紹介します。
助産師の平均的な年収を調べると530万円前後で、平均月給は約32万円、ここにボーナスが140万円ほど入ってくる内訳です。
看護師の平均的な年収は480万円前後と言われており、助産師の方が年収が高いのです。
また、助産師は職場によっても給料や年収は多きく変わるそうです。
ですので矢島床子さんの年収は、助産師は最低530万円が年収ということで、おそらく助産院院長として最低でも年収600万〜800万円ほどは貰っているのではないでしょうか?
矢島床子の家族や子供はいるの?
矢島床子さんの家族について調べて見たところ、矢島床子さんには娘さんがいることがわかりました。
娘さんの名前は「矢島藍」さんで、現在は35歳だそうです。
娘である矢島藍さんはお母さんである矢島床子さんと同じ職場で働いているのですが、どうやらお母さんである矢島床子さんみたいにはなりたくないらしく、お互いに譲らないところがあるみたいです。
矢島床子さんは自分より娘の方がパワフルだと話していますが、お互いに自分の意見をぶつかり合えるのも、お互いを信頼しているからこそ自分の意見を言える素晴らしい関係だと思います。
なお、旦那さんや他の家族については情報あ見つかりませんでしたが、セブンルールの放送中に情報が入り次第更新していきます。
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矢島床子【セブンルール】まとめ
いかがでしたか?
今回の記事の内容をまとめてみると、
・交通事故がきっかけで命の大切さを知り、助産師を目指す
・自身が育児ノイローゼになりかけたことで、同じ思いする母親を増やしたくないということで、自身で助産院を開業する
・年収は最低でも600万〜800万は貰っている
・娘の「矢島藍」さんも一緒に助産院で働いている
上記のようなことがわかりました。
助産師はいくら給料がいいものの、かなり大変なために辞めてしまう人も多いそうですが、矢島床子さんがここまで続けこれた理由は、おそらく育児ノイローゼになりかけたことで、被害者になる母親を増やしたくないという気持ちがかなり強かったのではないでしょうか?
1990年に開業してから30年経っていますが、矢島床子さんの思いは昔と変わらず今もたくさんの命が生まれる瞬間の手助けをしています。
今度の矢島床子さんの活躍を期待しています!