2020年10月7日(水)の19時00分~20時54分に放送される『笑ってコラえて』に、アプリ「うんコレ」を開発している医師・石井洋介さんが出演します。
石井洋介さんが現在は医師として仕事をしていますが、なんと偏差値30の高校からから外科医になった医師なんです。
そんな石井洋介さんがどこの高校や大学かに通っていたか気になりますよね?
そこで、今回は、
・石井洋介の出身高校や大学などの学歴
・石井洋介の医師になってからの経歴
についてご紹介します。
石井洋介のプロフィール
生年月日: 1980年7月12日
年齢 :40歳
出身地 :神奈川県横浜市
職業 :医師
石井洋介の出身高校や大学などの学歴は?
医師になる人のほとんどが高い偏差値の高校や大学出身など高学歴をお持ちです。
しかし、石井洋介さんは偏差値30だったそうで、勉強してギリギリ高校が受かったみたいなんだそうです。
そんな石井洋介さんの出身高校や大学などの学歴はどうなのかご紹介します。
高校
石井洋介さんは川崎市宮前区の中学校を卒業した後、高校は埼玉県の私立の進学校に入学したと言う情報がありました。
ですから石井洋介さんの出身高校を調べてみたところ、現在のところは学校名などの詳しい情報は公開されていませんでした。
しかし、高校入学当時は偏差値30ほどしかなったという石井洋介さんは、学力的に偏差値が30~45の進学校にしかいけないと思います。
そこで、埼玉県の進学コースのある私立高校をピックアップしてみました。
・東野高等学校(入間市)
・武蔵越生高等学校(入間郡越生町)
・正智深谷高等学校(深谷市)
・秀明英光高等学校(上尾市)
・埼玉平成高等学校(入間郡毛呂山町)
・国際学院高等学校(北足立郡伊奈町)
・叡明高等学校(越谷市)
・秋草学園高等学校(狭山市)
・武蔵越生高等学校(入間郡越生町)
石井洋介さんが通っていた高校は上記の9つの中のどこかだと思われます。
もともと学力が低かった石井洋介さんは、進学を目指していたために勉強をしてなんとか高校に入学したのですが、病気にかかってしまったせいで有意義な高校生活を送ることができませんでした。
石井洋介さんが高校1年生の16歳の時に、潰瘍性大腸炎と診断されたことで高校を休みがちになってしまい、そのせいで高校生活での自分の居場所を浮くなってしまったのです。
さらに、父母の離婚があったり、たびたび養育者が変わるなどあまりにも複雑な家庭環境によって、自分の家庭にも居場所がないと感じた石井洋介さんは自暴自棄になってしまい、池袋で生活を送るようになります。
石井洋介さんは出席日数が足りなかったのですが、担任教師のおかげで高校はなんとか卒業し、その後フリーターとして生活をします。
大学:高知大学医学部
石井洋介さんは2006年から高知大学医学部に入学をしています。
高知大学医学部に通学している時は、体力がつきそうだからという理由でラグビー部に入部しました。
まら、学園祭でのイベント運営に携わってダンス部の先輩のためにステージの後ろで流す映像制作を行ったりなど、学生生活を楽しんでいました。
しかし、ここで疑問に思うのが石井洋介さんの学力の問題です。
高知大学医学部は偏差値が66と医学大学ということもあり高偏差値なのですが、石井洋介さんは偏差値30であるところなんとか私立高校に進学できたようなものなので、全く勉強ができません。
ですから、石井洋介さんが偏差値66の高知大学医学部に入学できることもかなり難しいですよね。
石井洋介さんは医師になるために医療の本を書き写すことや予備校にも通い、二浪をした結果、高知大学医学部に合格することができたのです。
医師を目指すようになった理由
勉強なんて得意でなかった石井洋介さん。
しかし、そんな石井洋介さんはなぜ意思を目指すようになったのかと言うと、一人の外医師との出会いがきっかけだったそうです。
石井洋介さんは高校1年生の16歳の時に潰瘍性大腸炎と診断されていおり、高校も不登校がでしたがなんとか卒業。
高校を卒業しフリーターとして生活をしていた石井洋介さんですが、19歳の時に潰瘍性大腸炎が悪化をしてしまい、腹痛・発熱・下血を起こし体重は32㎏まで落ちてしまうことに。
そして体重が極度に落ちた時に大量の下血を起こしてしまうのです、
意識がもうろうとしている中で石井洋介さんは、「もし助かることが出来たら、これからの人生は全て人と社会のために使おう」と決意したそうです。
動脈にまで潰瘍が達した大腸を全摘出し、1年ほど人工肛門で生活することになります。
当時の石井洋介さんは若い年齢で人工肛門で生活することに絶望し、引きこもりになるようになります。
そんな時に、ネットで横浜市立市民病院に大腸全摘後でも人工肛門を閉じる手術をしてくれる医師がいるということを知り、人工肛門を外すことに成功したのです。
石井洋介さんはその外科医と出会ったことで、自分も医師になりたいと思うようになったのです。
石井洋介が医師になってからの経歴は?
石井洋介さんが大学を卒業し医師になってからの経歴についてご紹介します。
石井洋介さんが2010年に高知大学医学部の卒業後に、近森病院に初期研修医として入職することになります。
近森病院に研修医炉して入職している時に研修医の団体「コーチレジ」を立ち上げ、高知県の初期臨床研修のブランディングをしました。
「コーチレジ」のブランディングの結果、約40人だった研修医数は約70人にまで増えるようになったのです
それから、石井洋介さんから医師になって3年目の時に、念願であった横浜市立市民病院で消化器外科医として働くようになります。
しかし、大腸がんの女性患者を手術していたのですが、がんががあちこちに転移し、すでに手の施しようがない状態になっていたのです。
早期発見したのであればもっと早く気づいていれば助かったのですが、多くの人は検診や自分の便形状に関心がありません。
ですから石井洋介さんは、「ゲームなら健康に興味がない人も関心を持ってもらえる」ということから、2013年に自分の便形状を確かめることができるゲーム開発をする「日本うんこ学会」を創設しました。
「日本うんこ学会」では、「うんコレ」というスマートフォンゲームで観便』の考え方を普及させる方針で取り組んでいます。
便の観察がゲーム進行の重要な要素になるゲーム
石井洋介の出身高校や大学などの学歴は?医師の経歴も調査!【笑ってコラえて】 まとめ
いかがでしたか?
今回は、
・石井洋介の出身高校や大学などの学歴
・石井洋介の医師になってからの経歴
についてご紹介しました。
今回ご紹介したことをまとめると、
・石井洋介の大学は高知大学医学部
・2010年に近森病院に初期研修医として入職
・2013年に横浜市立市民病院で消化器外科医に入職
・2013年に「日本うんこ学会」を創立
・2016年には老健局老人保健課課長補佐に就任
・2016年にデジタルハリウッドに入学
・2018年から「秋葉原内科saveクリニック」の共同代表医師を兼務
・独立して株式会社omnihealを創業
偏差値30からもう勉強して医師になった石井洋介さんの努力が本当にすごいと思います。
石井洋介さんの思いが少しでも多くの人を救えたらいいですね!
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。