2020年10月15日(木)の19時57分~21時00分にフジテレビで放送される『奇跡体験!アンビリバボー』では、パラリンピックの父と呼ばれた医師・中村裕さんがご紹介されます。
障害者の自立のための施設「太陽の家」を創設した中村裕さんは、『東京パラリンピック』を始めとした障害者スポーツの生みの親として有名なのです。
そんな中村裕さんはすでにお亡くなりになってしまったのですが、死因は何だったのでしょうか?
また中村裕さんの妻や息子などの家族はどうしているのでしょうか?
中村裕医師とはどんな人物?
生年月日:1927年3月30日
死没日 :1984年7月23日(57歳没)
出身地 :大分県別府市
職業 :医師
所属 :大分中村病院
中村裕さんは身体障害者のスポーツ振興をはかった医師で、「日本パラリンピックの父」と呼ばれている人物です。
パラリンピックはオリンピックと同じように4年に1回開催されるほどの注目されるイベントとですよね。
今では障害者でも就職したり運動したりと一般人のように社会復帰をしており、障害者に対しての配慮も増え始めて差別などが少なくなってきました。
しかし、1960年の頃の日本では障害者は「ベッドで寝て過ごすことが一番」といわれており、障害者は病人のような扱いをされていたのです。
日本がそのような状態の時にイギリスでは、障害者が普通に就職したり運動していたりと驚異的な割合で社会復帰をしていたのです。
そこでどのような治療をしているのか疑問に思った九州大学医学部の天児民和教授は、調査のために中村裕さんをイギリスのストークマンデビル病院へ送ったのです。
それが中村裕さんが障害者に関わるきっかけでした。
いざ中村裕さんがイギリスに渡った時に、驚くことに障害者に対しての手術など治療方法は日本と全く同じなのに、ほとんどの障害者が6ヶ月で退院してる姿に驚いたようです。
ではイギリスがどのように障害者を社会復帰させているのかと言うと、障害者がリハビリの一環としてスポーツを行っており、今の日本のような社会全体で障害者を受け入れるシステムが完備していたのです。
そこで中村裕さんは、1世界初の障がい者競技大会を開催したイギリスのグットマン博士からスポーツと医学の繋がりについて学んだのです。
日本に帰国した中村裕さんは「障がい者こそスポーツをするべき」と訴え、第1回大分県障害者体育大会を開催しました。
しかし、当時の日本では障害者にスポーツをさせるという考えがないために、「障害者を見世物にするな」「あなた、それでも医者ですか」など多くの批判を受けたのです。
そんな批判が飛ぶ中でも中村裕さんは4年間かけて東京パラリンピック開催に奔走していきました。
その結果、1964年に東京パラリンピック開催が行われ、日本人選手団団長を務めたのです。
東京パラリンピックは成功に思われたのですが、日本と西欧諸国の障害者の能力の差を見せつけられた大会になってしまったのです。
さらに、大会終了後に西欧諸国の障害は自分の力でタクシーを呼んで銀座に向かうなど、一般人と同じように自立した生き方をいたことに中村裕さんはショックを受けました。
そこで中村裕さんは、身体障害者の職業的自立を目指した「社会福祉法人太陽の家」を別府市に創設し、日本の福祉を変えようと力を尽くしました。
それから中村裕さんは1975年に南太平洋身体障害者スポーツ大会を開催したり、1981年には第1回大分国際車いすマラソン大会を開催しました。
当時の陸連から「マラソンは2本の足で走るもの」として受け入れられなかったのですが、最終的には大会は成功したのです。
障害者の社会復帰を目指した中村裕さんの思いは日本各地に受け継がれています。
中村裕医師の死因は病気だった!?
中村裕さんの現在は1984年に57歳という若さでにすでに亡くなられています。
そんな中村裕さんはなぜ亡くなられてしまったのでしょうか?
中村裕さんは1984年に7月23日に肝不全のため死亡してしまっています。
中村裕さんはもとも肝臓が悪かったそうで、その中でも障害者の社会復帰のために闘病しながらも障害者のスポーツを発展させようとしていました。
しかし、中村裕さんも当時57歳だったことからも免疫力が低下しており、闘病生活の末に力尽きてしまったのです。
中村裕医師の家族(妻や息子)の今現在は?
中村裕さんの家族として妻の中村広子さんと、1960年に生まれた息子(長男)の中村太郎さんを含めて3人の子供がいるということが確認されています。
中村広子さんは夫の中村裕さんの1番の理解者でした。
中村裕さんが障害者スポーツに対して批判を受けていた時に、子供3人を育てながらもパラリンピック開催に奔走する中村裕さんを優しい笑顔と言葉で支えていました。
そんな中村裕さんの妻・中村広子さんと息子・中村太郎さんの子供は今現在はどうなされているのか調べてました。
中村広子さんは現在81歳となっており、数々のメディアから中村裕さんのことに対してインタビューを受けています。
そして中村裕さんの息子である中村太郎さんは、父親の中村裕さんと同じように整形外科になって父親の作った大分中村病院の院長を勤めています。
子供の頃から父親の中村裕さんの活躍をそばで見続けた中村太郎さんは、シドニー大会とアテネ大会でチームドクターを務めています。
中村太郎さんが言うには、父親であった中村裕さんは昭和の父親像そのものだったそうで、後を継がせたかった中村裕さんに「医学部へ行きなさい」と小学校の高学年頃から言われていたそうです。
当時の中村太郎さんは反発する気持ちがあったそうなのですが、中村裕さんが亡くなってからは父親と同じ整形外科の道に進むことに決めました。
そんな中村太郎さんは現在、「日本障がい者スポーツ学会」の常任理事、東京パラリンピックの選手用医療統括責任者として
中村太郎さんは父親の中村裕さんの意志を受け継いで今も障害者スポーツの発展のために活躍をしています。
中村裕さんから息子の中村太郎さんと親子で障害者スポーツを支えており、親子での強い思いがあるからそこ今もパラリンピックが続いているのだと思います。
中村裕医師の家族(妻や息子)の今現在は?死因も一緒に調査してみた!【アンビリバボー】 まとめ
いかがでしたか?
今回は、中村裕医師の家族や死因について調べてみました。
今回調べたことをまとめると、
・中村裕の息子(長男)・中村太郎さんは中村裕の後を継いでいる
・中村裕の死因は肝不全
以上のことがわかりました。
息子の中村太郎さんが父親の中村裕さんの思いをしっかりと受け継いでいてすばらしいですね!
これからも中村裕さんや中村太郎さんのように障害者を支える人が少しでも増えてくれるといいですね!
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!