2020年5月21日(木)の19時57分~21時00分に放送される『奇跡体験!アンビリバボー』に、世界的大ヒット製品『G-SHOCK』を作りあげた伊部菊雄さんが出演します。
1983年4月に発売した大ヒット製品『G-SHOCK』は伊部菊雄さんが開発した落としても壊れない時計ですが、そんな伊部菊雄さんの経歴やG-SHOCKが誕生するまでの秘話がすごいんだそうです。
今回は、伊部菊雄の経歴や出身・プロフィールについてやG-SHOCKの誕生秘話、について調べました。
伊部菊雄の出身やプロフィールは?
生年月日:1976年
年齢 :68歳
出身地 :新潟県
最終学歴:上智大学理工学部機械工学科
伊部菊雄の経歴やG-SHOCKの誕生秘話とは?
伊部菊雄さんの経歴はどのような経歴をお持ちなのでしょうか?
1977年:大学卒業後、カシオ計算機入社
設計部でデジタル時計の構造開発を担当
1983年:「落としても壊れない時計」でG-SHOCKを販売
G-SHOCKの誕生秘話とは?
「サンプルを3階から落とすと、電子部品が1つだけ壊れるという現象にぶつかりました。壊れた部品を強化すると、今度は別の部品が壊れる。まるでモグラたたきのようで、らちがあかなくなってしまったのです」
「基礎実験もしないまま企画書を出した負い目がありましたから、うまくいかなかったら会社を辞めるしかない、と思い詰めていました。けれど、ほかの2人はそんな私の気持ちを知らないから、『いつになったらできるの?』とか、『もうそろそろなんじゃない?』とか簡単に言うわけです。悪気がないのはわかっていたのですが、ささいな言葉が気に障り、毎日、けんかばかりしていました」
公園のベンチに座ると、女の子がゴムボールをついて遊んでいるのが目に入った。「自分がしている落下実験と、どこか似て見えたんでしょうね」と伊部氏。魅入られるようにじっとボールの動きを見つめていると、ふと、中に時計の心臓部が浮かんでいるのが見えた。「その瞬間、頭の中でピカーッと光ったんです」と伊部氏は言う。
心臓部を宙づり状態にすれば衝撃は伝わりにくくなり、落としても壊れない。ひらめきは間もなく確信へと変わり、Gショックの構造設計が完成した。
米国市場で初めて売れた
「当時、腕時計の主流は薄型でした。売るためには営業の販売計画に入れてもらう必要があるのですが、国内はいくら説得しても『こんなもの売れない』の一点張り。唯一、興味を示してくれたのが、米国の販売部門にいた現地のセールスマネジャー。彼がおもしろがって販売計画に入れてくれたおかげで、なんとか出荷することができました」(増田氏)
「米国では最初から動いていました。というのも、発売の翌年、テレビCMを流したんです。Gショックをアイスホッケーのパックに見立てて、たたいても壊れないことをアピールした。すると視聴者から『誇大広告ではないか』という声があがり、現地の人気番組で検証することになりました」(増田氏)
・大型ダンプカーにひかせる
伊部菊雄の経歴や出身・プロフィールは?G-SHOCKの誕生秘話とは?【奇跡体験!アンビリバボー】 まとめ
いかがでしたか?
今回は、伊部菊雄の経歴や出身・プロフィールについてやG-SHOCKの誕生秘話、について調べました。
今回のことを調べてみた結果、
・大学卒業後にカシオ計算機入社
・最初にG-SHOCKは売れたのは日本
上記のことがわかりました。
今回調べて思ったことは、今では有名であるG-SHOCKが、ここ数十年でできたブランドだったということを初めて知りました。
また、初めて売れたのがアメリカがきっかけだったことも驚きでしたね。
これからもどんどん新しいモデルのG-SHOCKが発売して欲しいですね!
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。