過去に『ザ・ノンフィクション』で、不登校・非行・虐待・いじめ・薬物依存など、様々な理由から親元で暮らせなくなった子供たちを保護してきた「西居院」について密着してきました。
そんな西居院で、「やんちゃ和尚」として心の問題を抱えた少年少女達を無償で預かっている熱血和尚『廣中邦充』さんのエピソードについて語られます。
廣中邦充さんは2019年4月に死亡してしまったと言われていますが、本当に死亡してしまったのでしょうか?
また、現在の西居院のその後や後継ぎなどはどうなっているのでしょうか?
今回は廣中邦充さんのことについてわかる範囲で調べたことを紹介します。
廣中邦充(熱血和尚)のプロフィール
誕生日:1950年8月28日
死没 : 2019年4月16日(68歳没)
出身地:愛知県岡崎市真福寺町
出身校:大正大学仏教学部
職業 :僧侶
廣中邦充(熱血和尚)の過去(昔)は元ヤンキーだった!?
愛知県岡崎市真福寺町で西居院住職の次男として生まれた廣中邦充さんは、少年時代は長ランにラッパズボンという服装で地元でもかなりのヤンキーだったらしく何度も警察のお世話になっていたそうです。
また、ケンカに明け暮れていた廣中邦充さんが更生するきっかけになったのが、高校時代の男性教師でした。
高校時代に無期停学が明けた直後に暴力事件を起こし退学になりそうな状態だった時に、若い男性教師が職員会議で泣きながら土下座をして廣中邦充さんを庇ってくれたのがきっかけでした。
それから廣中邦充さんは男性教師との家に1ヶ月間住み込み、真剣に向き合ってくれることから更生し、大学は大正大学へと進むようになります。
キャンパス: 巣鴨(東京都豊島区); 埼玉(埼玉県北葛飾郡松伏町)
設立 : 1926年
電話 : 03-3918-7311
大学卒業後はソニーに入社し営業担当を任され、全国トップの営業成績の記録を叩き出しました。
ソニーを退職後は独立して総合学習塾など複数の会社を経営をします。
そんな中、1990年に二十代目住職であった実の父親が病気で倒れることをきっかけに、西居院の二十一代目住職として廣中邦充さんが就任します。
1996年頃から10年以上にわたり自らが営む寺・西居院でで、非行・虐待・いじめ・薬物依存など、様々な理由から親元で暮らせなくなった子供たちを保護するようになりました。
廣中邦充さんが子供を引き受けるようになったのには理由があります。
長男の通っていた高校でPTA会長を勤めていた時に、学校自体があまりにも退学者が多かったらしく、事情を聞くと子供達の家庭環境に問題があることが発覚。
そのような教育の現状を見ていられなかったという廣中邦充さんは、家庭環境に問題のある子供達に「家に来い」と声をかけて一緒に暮らし始めたのがきっかけだったそうです。
それから、2010年までに800人以上の少年少女達を更生させ、世間で西居院は「平成の駆け込み寺」として注目されるようになり、平成19年度に社会貢献者表彰として表彰されることになりました。
しかし、そこで気になるのが食費などのお金はどこから出ているのかということですが、そのお金は全て廣中邦充さんの実費でした。
廣中邦充さんの当時の収入源は、年に200回行われる講演での講演料や謝礼、本の印税などで賄って子供達の食費は全て寺が負担していたそうです。
廣中邦充さんはこれまでに何十人もの子供達を育てていたわけですから、毎月の食事代などかなり出費が多かったとはずなので、子供たちの為にも仕事を相当頑張っていたと思います。
廣中邦充熱血和尚)の家族は?
廣中邦充さんの家族や息子について調べました。
廣中邦充さんは結婚をしており、奥さんと息子が2人がいらっしゃいます。
奥さんの名前は待子さんで、廣中邦充さんと一緒に子供達のお世話をしていました。
息子さんの年齢ははっきりとは公表されていませんが、過去の廣中邦充さんの発言で「1996年頃に大学に入学している」というような発言をしています。
そのことを考えると、仮に1996年頃にお兄さんが当時18歳だったとしたら、現在では42歳になるので、長男と次男は40歳前後だと思われます。
そんな待子さんは現在は70歳で元々は看護師をしていたようです。
しかし、現在は看護師を退職し、西居院での食事担当をしています。
ちなみに待子さんは元々廣中邦充さんの中学の同級生だったようで、ヤンキーだった廣中邦充さんのことも全て知っています。
そのため、普通なら赤の他人を家に迎えることなんて出来ませんが、当時の廣中邦充さんの思いを知っていたからそこ、家庭環境が悪かった子供たちを助けてあげたいと思ったのでしょう。
普通ではいくら家庭環境のせいだからといって、何するのかわからないような子供達を家に入れるのを許してあげるって、とても理解力のある奥さんでないと厳しいと思います。
そんな子供達のご飯を作るのは待子さんの役目で、一度に何十人ものご飯を作るわけなので、一度の食事を作るのに相当大変ですよね。
ですが、そんな大変な仕事を快く受け入れてくれる待子さんは、本当に廣中邦充さんの良き理解者ですね!
廣中邦充(熱血和尚)の現在は死亡?死因は癌だった!?
そんな廣中邦充さんは2012年に頃に肺がんにかかっていることが発覚するのです。
ステージはなんと4まで進行しており、余命3ヶ月を宣告されました。
癌が発覚した当初は全ての仕事を断っていたそうですが、自分が子供達に伝えた言葉「逃げると終われるぞ」「半歩踏み出せ」という言葉を思い出し、医者の反対を押し切って全国を飛び回って講演をしながら闘病生活をしていました。
2017年には言葉がうまく出てこないまでになってしまいます。
闘病生活では、不安や苦しみなどの感情があったそうですが、病院のドクターや看護師さんが毎日握手をしてくれていたそうです。
そのおかげで闘病で不安な日々に何度も救われたらしく「あなたがいてくれてよかった」といろんな人に感謝の気持ちを思うようになったと話しています。
現在、廣中邦充さんは、2019年4月16日に残念ながら69歳で亡くなってしまっています。
しかし、亡くなってもなお廣中邦充さんの思いは一緒に過ごした子供たちに伝わっていることでしょう。
西居院のその後や後継ぎは息子!?
2019年4月16日に残念ながら69歳で亡くなってしまった廣中邦充さん。
そんな廣中邦充さんの後を継いで西居院の後を継いで22代目となったのが、廣中邦充さんの息子(長男)さんで、現在でも活動をしています。
https://twitter.com/KAZ_0899/status/1174526911524954112
廣中邦充さんの息子さんは今までは会社勤めをしていたのですが、父親である廣中邦充さんが肺がんになってしまったことをきっかけに、自身が寺の後継ぎとして戻ってきたのです。
なぜ息子さんが会社を辞めてまで寺の跡を継ごうかと思ったかと言うと、詳しくは語られていませんでしたが、廣中邦充さんの西居院や子供達への思いを息子として守りたかったのだと思います。
そんな息子さんも、自身gた大学生の頃から子供達を寺で預けることを始めた廣中邦充さんに、最初は不信感があったそうです。
しかし、家庭環境に問題のある子供たちの面倒をみる廣中邦充さんの姿を見ていると、息子さんにとって父親の廣中邦充さんは尊敬する人へと変わっていったのです。
そして、そんな父親が肺がんとなってしまったことで、今度は自分が父親のように西居院と子供達を守る番だということで後継ぎになったのだと思われます。
天国にいる廣中邦充さんも、息子が自分の意志を受け継いでくれてとても安心しているのではないでしょうか。
廣中邦充(熱血和尚)の現在は死亡?家族や息子は?西居院のその後も調査!【ザノンフィクション】
いかがでしたか?
廣中邦充さんのことについてわかる範囲で調べました。
今回の内容をまとめると、
・高校時代は地元でも有名なヤンキーだった
・退学寸前だった時に恩師に助けられて更生する
・大正大学を卒業後はソニーに就職
・総合学習塾など複数の会社を経営
・父親が病気になり、自身が寺を継ぐ
・2010年までに800人以上の少年少女達を更生させている
・2019年4月16日に肺がんで死没(68歳)
・廣中邦充の後は息子が継いでいる
上記のことがわかりました。
廣中邦充が心に問題のある子供達を救おうとしている姿勢は普通ではなかなか出来ないことですよね。
廣中邦充さんのことを調べてると、廣中邦充さんがいかに子供達のことを考えて過ごしてきたかがわかりました。
今はお亡くなりになってしまいましたが、廣中邦充さんの考えに共感して、問題のある子供達を救えるようになれる世の中になって欲しいと思います。