吉開千代(激レアさん)の学歴(大学)やwiki経歴は?マサイ族との関係や造園した庭の場所は?
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2020年9月5日(土)の22時10分~23時10分にテレビ朝日で放送される『激レアさんを連れてきた。』に、吉開千代さんが出演します。

 

 

吉開千代さんは2000年に第一園芸に入社してから「緑化事業」に20年も関わってきた、緑化事業のプロフェッショナルなのです。
そんな吉開千代さんの外見はとてもおだやかで優しそうな雰囲気の女性ですよね。
ですが、吉開千代さんは穏やかそうな見た目とは裏腹に、現在に至るまでにユニークでダイナミックな経歴をお持ちなんです。
そんな吉開千代さんは経歴の一つとして過去にマサイ族42人を率いたことがある人』という激レアさんなんです。

 

 

一見、吉開千代さんはすごく優しそうな雰囲気の方で。とてもじゃないですが吉開千代さんみたいな方がマサイ族42人を率いていたって想像できないですよね。

 

 

吉開千代さんがマサイ族42人を率いていたとはどういうことでしょうか?

 

 

今回は、吉開千代さんがマサイ族42人を率いていた謎や、学歴や大学なども含めた吉開千代さんのユニークでダイナミックな経歴を調べてみました。

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吉開千代のwiki風プロフィール

吉開千代 激レアさん 学歴 大学 wiki 経歴 マサイ族 関係

プロフィール
名前  :吉開千代(ヨシカイ チヨ)
生年月日:1968年〜1969年
年齢  :51歳〜52歳
出身地 :東京都
趣味  :ラグビー観戦
職業  :第一園芸 緑化事業本部

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吉開千代(激レアさん)の学歴(大学)は?

2020年9月5日(土)放送の『激レアさんを連れてきた。』に出演している吉開千代さんは、一体どのような学歴歩んできたのでしょうか?

 

 

吉開千代さんは大学時代に多摩美術大学立体デザイン科を専攻していたのと同時に東京農工大の聴講生だったのです。

 

え?どういうこと!?と思いますよね?

 

なぜ吉開千代さんが多摩美術大学に通いながら東京農工大の聴講生だったのかというと、下記のようなエピソードがあるのです。

大学時代

1985年、高校卒業後の吉開千代さんはデザインの勉強をするために多摩美術大学の立体デザイン科を専攻していたのです。

 

そんな吉開千代さんが緑化事業に興味を持ち始めたのが、大学で公園にモニュメントを作るという課題でのことです。

 

発想が豊かである吉開千代さんは「場所ごと造った方が速いんじゃないか?」と思いついたことが緑化事業に関わっていきたいと思ったきっかけだったのです。

 

大学生の頃からそのような発想ができる吉開千代さんは、かなりユニークですね。

 

 

吉開千代さんの実家の母親が植物が好きで庭には様々な種類の花や木々が植わっていました。

 

 

実家で植物に親しんでいた吉開千代さんは緑化事業に興味を持つようになり、すぐに東京農工大の聴講生になって園芸概論の勉強を始めたのです。

 

 

ですから、学歴上では多摩美術大学立体デザイン科を卒業しているのですが、1990年に卒業してからの進路を園芸の道に進むことに決めたそうなんです。

 

 

もともとデザイン科を選択していたのにやりたいことができるとすぐに行動する辺り、吉開千代さんはこの頃からダイナミックな性格をしていたんですね!

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吉開千代(激レアさん)の経歴はマサイ族42人を率いていた!?

大学を卒業してからの吉開千代さんの経歴は、「マサイ族42人を率いていた」というかなりユニークな経歴を送っているのです。

 

そんな吉開千代さんの経歴やマサイ族との関係について調べてみました。

 

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1990年~1991年:入社から退職まで

吉開千代さんは1990年に多摩美術大学立体デザイン科卒業後に、株式会社環境デザイン研究所に入社します。

 

環境デザイン研究所では年契約と造園設計を担当して働いていましたが、就職して1年半が経った1991年にデザインの仕事をしていた友人伝えでフリーの仕事の誘いを受けたのです。

 

 

仕事を依頼したのは建築家のエドワード鈴木さんという方で、吉開千代さんへの依頼は「アフリカ・ケニアのサバンナのど真ん中にロッジを造るので、造園をして欲しい」という内容です。

 

 

エドワード鈴木さん造園できる人を探していたそうで、家具のデザインを引き受けていた友人の紹介で吉開千代さんに声がかかったそうなんです。

 

 

誘いを受けた吉開千代さんは、”現地で造園の設計だけして帰ってくる"という約束のもと、会社を半年休職してアフリカ・ケニアに行くことを決意しした。

 

 

ケニアのナイロビの造園の設計をしていた吉開千代さんですが、ここで問題がおきます。

 

なんと吉開千代さんいなくなってしまうと造園を教えらえる人がいないのです。

 

ですからエドワード鈴木さんに「造園できる人がいないので残って欲しい」と留めらたそうです。

 

 

急にケニアに残って欲しいと言われてもかなり困りますよね。

 

ましてかサバンナのど真ん中ですから、管理人がもし同じことを言われたとしてら、とてもじゃないですが厳しいですね(笑)

 

 

しかし、ダイナミックな性格の吉開千代さんはケニアに残ることを即答し、環境デザイン研究所を退職することを決意したそうです。

 

普通であれば約束と違うので断ってもいいのに、快く引き受ける吉開千代さんの決断力と行動力はさすがです。

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1991年〜2000年:マサイ族42人を雇用 → ケニアで会社を設立

吉開千代さんはケニアのマサイマラにいることを決意し、いざ造園をする現場に訪れましたが、明らかに人手が足りないのです。

 

このままでは造園をすることができないと悩んだ吉開千代さんは、現地に住んでいるマサイ族の人たちを雇用することを決めたのです。

 

 

マサイ族の人たちは吉開千代さんがケニアで造園をしていた様子を毎日見に来ていたそうなんです。

 

吉開千代さんの頑張っている姿を見ていたマサイ族の人たちは、「手伝うよ」と言って造園を手伝ってくれたそうです。

 

 

しかし、放牧や牧畜をする部族であるマサイ族には植物を植えるという文化がありません。

 

ですから、根っこを切って持ってきたり、ビニールごと植えたり、飛ぶ練習をしていたりと、とてもじゃないですが仕事になりませんでした。

 

悩んだ吉開千代さんは、マサイ族の人たちを

・チュイ(=ヒョウ)チーム
・ンドフ(=ゾウ)チーム
・シンバ(=ライオン)チーム

という名前で同年代ごとにグループを分けて、仕事を振り分けて雇用していったそうです。

 

そうしているうちに最終的にマサイ族42人を雇用することになったのだとか。

 

 

さらにお互いに競争をさせることにした結果、マサイ族の人たちが黙々と仕事をしたそうです。

 

そして、半年の工事期間と半年の手直しの期間を経て、ようやくアフリカのサバンナのど真ん中に庭を造園する計画が成功したのです。

 

 

その経歴から吉開千代さんは『マサイ族42人を率いたことがある人』という激レアさんに選ばれたのです。

 

 

現地の文化の違う部族の人たちを雇用するわけですから、吉開千代さんがかなり苦労したと思いますが、そんなマサイ族をまとめてしまうのですから、吉開千代さんのリーダシップ能力はすばらしいですね!

 

 

アフリカ・ケニアでの造園に成功した吉開千代さんは、そのまま現地に残って自身の会社『Chiyo&Co.,Ltdを』を設立しました。

 

 

ケニアでは、ホテルや大使公邸の庭などの仕事を請け負いながら9年間仕事をしました。

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2000年〜2020年:第一園芸に就職から現在まで

ケニアで9年間仕事をしていた吉開千代さんは、2000年に「ひとつの仕事をやりきった」ということで日本に帰国することにしました。

 

そして日本に帰国してきてから、同年の2000年に第一園芸に就職し現在の緑化事業本部に所属することとなったのです。

 

吉開千代さんの現在の業務内容は、主に大使館の庭の植栽を担当しているそうで、アメリカやオランダなどの大使館の庭を造園してきました。

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近年では、自治体や企業が都市の緑化の重要性を認識してきたこともあり、吉開千代さんが入社当初は5~6人しかいなかったそうなのですが、現在は40人ほど増えてきたそうです。

 

吉開千代さんは「人と自然のつなぎ役になる」ということを目標に、現在も緑化技事業に力を注いでいます。

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まとめ

吉開千代さんのこれまでの経歴をまとめてみました。

まとめ
・1990年に多摩美術大学立体デザイン科を卒業
・1990年に環境デザイン研究所に入社
・1991年にアフリカ・ケニアのロッジ造りに参加
・1991年に環境デザイン研究所を退社し、ロッジの造園を担当
・現地のマサイ族42人を雇用

・1991年にケニアで会社『Chiyo&Co.,Ltdを』を設立
・2000年に帰国し第一園芸 緑化事業本部に就職

吉開千代さんの経歴はユニークだと聞いていましたが、大学を卒業してからたった1年で現地のマサイ族42人を雇用したり、会社を設立したりと本当にユニークでダイナミックでしたね!

 

色々と苦労することは多かったと思いますが、吉開千代さんのおかげでケニアのサバンナの中に緑ができて、ケニアがより自然豊かになったと思います。

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吉開千代(激レアさん)がマサイ族と造園をした庭の場所は?

吉開千代さんが実際にマサイ族と造園した庭の場所はどこなのか調べていまみました。

 

実際に吉開千代さんが造園をした庭の詳しい場所まではわかりませんでしたが、土地の場所はケニアの首都ナイロビから約250kmのマサイマラという土地です。

場所はどこにあるか気になったので調べてみたのですが、移動手段は首都ナイロビからセスナ機で行くしか方法がなく、陸路だと6時間もかかるサバンナのど真ん中です。

 

そして、実際に吉開千代さんとマサイ族の人たちが造園した庭の写真がこちらです↓

ケニアのサバンナのど真ん中にこんなにも綺麗な緑が出来ているのはびっくりですね!

 

この庭の造園を半年で完成できたのは吉開千代さんとマサイ族の人たちが努力を重ねた結果ですね。

 

 

マサイマラは現在ではケニアの観光地としても有名で、動物や観光ツアーなどが人気なんだそうです。

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吉開千代(激レアさん)の学歴(大学)やwiki経歴は?マサイ族と造園した庭の場所は? まとめ

いかがでしたか?

今回は、吉開千代さんがマサイ族42人を率いていた謎や、学歴や大学なども含めた吉開千代さんのユニークでダイナミックな経歴を調べてみました。

 

調べたことをまとめました。

まとめ
・1985年に多摩美術大学立体デザイン科に入学
・大学在学中に東京農工大の聴講生になる
・1990年に多摩美術大学立体デザイン科を卒業
・1990年に環境デザイン研究所に入社
・1991年にアフリカ・ケニアのロッジ造りに参加

・1991年に環境デザイン研究所を退社し、ロッジの造園を担当
・1991年にケニアで会社『Chiyo&Co.,Ltdを』を設立
・2000年に帰国し第一園芸 緑化事業本部に就職

近年、緑が少なくなってきたことで地球温暖化が進んでいて日本に限らず世界で異常気象が相次いでいます。

 

そのような地球の状態から少しでも抜け出せるためには、吉開千代さんのような自然に対して強い思いを持てる人が少しでも増えなくてはいけないと思います。

 

ですから、地球を救うためにも吉開千代さんみたいに自然のことを少しでも考えられる人が増えて欲しいですね。

 

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!

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