2020年1月5日の23:00からTBS系列で放送される『情熱大陸』に、山形県の海岸沿いにある3時間待ちの行列店ラーメン店「琴平荘(こんぴらそう)」の店主である『掛神淳(かけがみ あつし)』さんが出演します。
・掛神淳(かけがみ あつし)さんのプロフィールは?
・経歴、年収や学歴は?
・家族構成は?
今回は掛神淳(かけがみ あつし)さんのことについてわかる範囲で調べたのでご紹介します。
掛神淳(ラーメン店主)のwiki風プロフィール
生年月日:1965年5月1日
年齢 :54歳(2020年1月現在)
出身地 :山形県鶴岡市
職業 :ホテルの営業・ラーメン店
掛神淳さんは1965年5月1日に山形県鶴岡市で生まれました。
大学中退後に、掛神淳さんの父親が経営していた飲食店で料理を学んだ後に、祖母が始めた旅館「琴平荘」の経営を引き継いで調理も担当します。
2002年に11月から3月までの閑散期だった冬の集客のために冬季限定で中華そばを売り始めます。
2010年に、ラーメンのスープの元であるトビウオの焼き干しを自作で始めてから、多い時ではラーメンを食べるために3時間待ちの行列が並ぶ行列店に変わりました。
お店の近くには、三瀬海岸という海岸があり、サーファーが多く訪れるらしく、サーフィンの後に食べに来るお客様も多いらしいです。
今は1人だけではお店を回すのに限界があるため、母親、妻、長男などの家族も一緒にお店を切り盛りしています。
掛神淳(ラーメン店主)の経歴や年収・学歴は?
大人気のラーメン店の店主である、掛神淳さんの経歴や年収・学歴について調べたのでご紹介いたします。
掛神淳の経歴
掛神淳さんの経歴を調べたのでご紹介します。
琴平荘は掛神淳さんの祖母が始めた山形県鶴岡市の海岸沿いで経営する旅館でした。
旅館を経営し始めた当時である昭和40年代は経済成長期で、作ればなんでも売れるという時代だったそうです。
両親はもともと会社勤務をしていましたが、仕事を辞めて旅館に務めるになり、会社形式にして始めました。
掛神淳さん1965年5月1日に、山形県鶴岡市で琴平荘を経営する家族の間に1人っ子として生まれました。
掛神淳さんは学生時代は鶴岡市内の小・中・高で過ごします。
掛神淳さんは元々後継ぎになるつもりは一切なく、英語が得意だった事から、英語関係の仕事で何か出ればと思っていたそうなのですが、父親からは「一人っ子なのに後継はどうするんだ」と大反対されたそうです。
そして掛神淳さんは父親の意思で社会勉強という事で、高校卒業後には埼玉の方で進学をすることになります。
掛神淳さんは大学進学はしたものの、試験は受けない、留年はすると真面目ではなかったようで、わずか1年半で大学を中退して地元に戻ってきて、掛神淳さんの父親が炉端焼き屋も経営してい他ので、そちらで料理を手伝うようになります。
掛神淳さんはなぜ旅館でラーメンを始めようかと思ったかというと、冬場になると旅館に訪れる人が一気に減ってしまうので、閑散期対策として自分が大好きであるラーメンを、冬場の売上が一番悪い時期である11月〜3月いっぱいの時期にラーメンを作って営業を始めたそうです。
2020年現在、琴平荘でラーメンを初めて13年目ほどになるそうですが、大行列が出来るようになったのはラーメンを初めて3~4年目だったそうです。
それまでは場所的にもなかなか来る人がおらず、旅館の大広間での片手間のラーメンだと言われて悔しい思いをしていたそうなんです。
元々ラーメンは好きで趣味でよく食べ歩いていたり、自分で実際に作ってみたりとしていた掛神淳さんですが、そのラーメンは「商売」で出せるようなものでは決してなかったらしく、本格的にラーメンをやるなら「自家製でやる」ということで、自家製の麺作りの研究をしました。
また、スープの材料であるトビウオの焼き干しも自家製で作ることをし始めました。
その結果、だんだんとお客様が並ぶようになり、今では最大で3時間をも並ぶ人気ラーメン店に変貌しました。
掛神淳の年収
掛神淳さんの年収はどのくらいもらっているのかをわかる範囲で実際に調べてみました。
掛神淳さんの年収がいくらとは出ていなかったので、ラーメン屋と旅館での年収はいくらぐらい貰っているのかを調べて見ました。
琴平荘は10月から5月はラーメン屋、6月から9月は旅館屋を経営しています。
調べてみた結果、ラーメン屋のオーナーの平均年収は880万円ほどだということはがわかりましたが、琴平荘は寒い時期だけやっていないことと3時間も並ぶと言われている大行列店と考えると、ラーメンでの平均の年収が最低でも「800万」ぐらいなのではないでしょうか?
また、琴平荘の旅館としての年収ですが、 詳しい情報は出てきませんでしたが年収でいうと300万円程度で、月収でいうと20万程度と言われているので、6月〜9月の4ヶ月だけやっているということを考えると、旅館としての年収は「80万」ぐらいなのではないでしょうか?
以上のことを踏まえると、あくまでも仮定なので正確ではないですが、掛神淳さんの年収は「900万〜1,000万」ほどあるのではないのでしょうか?
掛神淳の【学歴】出身中学・高校・大学
掛神淳さんの学歴や出身の学校について調べてみました。
【高校】酒田南高校
設立日 :1961年
電話番号:0234-24-2900
掛神淳さんの高校は山形県の酒田市にある「酒田南高校」に通っていました。
掛神淳さんの高校生当時の写真を入手しました↓
当時の酒田南高校は地元では不良の集まる高校だったんそうで、掛神淳さんもドカン(太い制服ズボン)なんか履いてますね。
上記の写真を見てわかる通り、当時の掛神淳さんは真面目な性格ではなかったそうです。
【大学】東京国際大学
設立日 :1965年
電話番号:049-232-1111
掛神淳さんは高校卒業後に、埼玉県にある「東京国際大学」に通っていました。
掛神淳さんは英語が得意だった事から、英語関係の仕事で何か出ればと思っていたという事もあり、父親の意思で社会勉強という事で、高校卒業後に東京国際大学に進学をすることになります。
しかし、大学進学はしたものの大学時代は遊んでばかりで、試験は全く受けない、留年はすると真面目ではなかったようで、わずか1年半で大学を中退してしまいます。
掛神淳(ラーメン店主)の家族構成は?
掛神淳さんの家族構成について調べた結果、家族構成がわかりました。
家族構成としては、
・知子さん(妻)
・瑛さん(長男)
・娘2 人
の5人です。
現在は娘2人は実家を出ていて、家族も含めて全員でお店を手伝っているそうです。
掛神淳(ラーメン店主) 【情熱大陸】 まとめ
いかがでしたか?
今回の記事の内容をまとめてみると、
・もともとはラーメン屋なく、旅館の厨房として仕事をしていた
・自家製麺や自家製のトビウオなど、ラーメンにこだわりがある
・年収は800万〜1,000万ほど
・高校時代は真面目な方ではなかった
・酒田南高校を卒業し、酒田南高校に進学するもわずか1年半で中退
・娘2人は実家を出ていて、母と妻と息子がお店を手伝ってくれている
上記の事が調べた結果わかりました。
詳しい情報があればどんどん更新していきます。
琴平荘のラーメンを見ていると美味しそうなので、山形に行く機会があればぜひ行ってみたいですね!!